中居正広&フジテレビ攻撃から文春バッシングへ! 人はどうして「キャンセル」に魅せられ、破壊へと突っ走るのか?【仲正昌樹】
キャンセル・カルチャーの真実「破壊することは果たして正義か?」

■テレビ業界が生き残るための生贄と化す〝極めて皮肉な事態〟
真実解明そっちのけで、長年自民党・総務省と結託して日本を影で支配してきた大組織を潰して、すかっとしたいという破壊衝動で多くの人が突き動かされ、異様な盛り上がりを見せるこのキャンセル運動は、ジョルジュ・バタイユの言う「蕩尽」を思わせる。
バタイユによると、将来の生き残りのために、人々の行動を秩序付けて、「労働」する主体へと構成し、労働の成果を「貨幣」や「資本」の形で蓄積するようになった文明社会では、人々の野生の欲望は抑圧され、無害なものに変えられる。人間が動物である以上、労働・蓄積に伴う緊張をどこまでも高めていくのは不可能だ。どこかで、ためこんだエネルギーを放出(蕩尽)しないといけない。原初的な社会では、宗教儀礼がその役割を果たしていたが、宗教の力が弱まった現代社会では、はっきりしたはけ口はない。芸術やエロティシズムが部分的にその役割を果たすが、それだけでは足らなくなる。
「楽しくなければテレビじゃない」の標語の下に、日本社会に溜まっていたものを「蕩尽」させる回路を作ってきたフジテレビが、番組制作(労働)の過程でエロティシズムの暴走(と思われる)問題を引き起こし、自らがテレビ業界が生き残るための生贄と化しているのは、極めて皮肉な事態に思える。
文:仲正昌樹